私が普段いるスタジオ(工房)の近くには、広いトイレが
並んで2つある。
どのくらい広いかと言うと、2畳半ほどだ。
皆がこの広さをどう思っているのかしらないけど、私は
思い切り体を伸ばして体操できるのでいいと思う。トイレなんだけど。
広い壁一面に、落書きがしてある。
壁が「掲示板」となり、熱い論争が繰り広げられているのだ。 例えば、一方のトイレにおける最近の話題は「妊婦のシルエットは美しいか?なぜ?」で、私は肯定派である。理由は省いちゃう。
皆の切実なつぶやきや疑問、主張が、かきなぐられた1文に、ときに長文に込められているのだ。
レスが長引くにつれ、話題の奥深さに驚かされる。
トイレの壁に、哲学が切り刻まれているのだ。
個室に男女の区別はそれまでなかったのだが、2週間ほど前に女子トイレマーク、男子トイレマークが貼られた。
見て分かるけど手書き。(5sec./image)
なんだか左に倒れちゃいそうだけど気にしない。
なぜだろう?
用務員のおじさんたちは、トイレを男女混合・激論の場としてではなく、もう少し大人しく使って欲しかったのかもしれないな。
けど、最も静かな憩いの場を失おうとしている生徒たちが黙っているはずないのだ。
しかし用務員のおじさんを恐れる生徒は、マークを取り外すまではできない。
下半身が切り取られクエスチョンマーク。どちらかわからなくなっていた。つまり、どちらに入ってもいいということだ。
わずらわしさは解決されたように思われた。
しかし用務員さんたちは、すぐに元通りに直してしまったのだ。
どうしよう?同じ事をしてもきっと無駄だろう。
男女が仲良く一緒に入れるようになっていた。
これはいい、もはや一人ではなく、その場で意見を交わしながら壁に書き込みできるというわけ!
>トイレの目的が変わっている気がするが、そんなことを気にしていたら生きていけないのだ。
(でも、中に誰もいないのが分かっているのに、どうしてもノックしてしまうのは自然の成り行き。 出たときに誰かと目が合ったら何故か恥ずかしく思うのも自然現象。)
その後、マークの紛失や別の落書きを巡って、とうとうマークの貼り付けを用務員さんは諦めたようだ。
生徒が勝利したというわけね。
本当に皆、最近忙しいんだもの。ささやかな楽しみを壊されたくないよね。
そんな風に、妨害者にも頑として立ち向かう生徒たちって、やっぱりとても輝いていて素晴らしいと思う。
一緒に、がんばっていこう、と私は心の中で思った。
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