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オディロン・ルドン はいつしか絵描き好きのシャイボーイになっていたのです。

だが11歳のとき(1851年)に絵画展で入賞したことが
彼の野望を生み出したようなのです。
そう、孤独だった彼が、他人に認められる喜びを知った瞬間です!(文は絵の下へ続く)

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ルドン
「出現」
"The Apparition"
27cmX20cm リトグラフ 1883
英国博物館蔵
学校に馴染めない間に師事した地元の画家や
知人の植物学者から影響を受け、
ルドン宗教や神話などの神秘的な題材を選ぶようになりました。
他の作品と酷似していてもへっちゃらです。

例えば同時代のモローが描いた神話からヒントを得て(女は舞を踊るサロメ。
舞の褒美に惚れた男の首を要求) ルドンは空に浮かぶ斬首や巨大な目玉を多く描きました。

ギュスターヴ・モロー
「出現」
"L'Apparition"1876
ギュスターヴ・モロー美術館蔵


ルドン
「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
"Eye balloon"
42,5cmX33,5cm 木炭
NY 現代美術館蔵
ルドンは別名「プリンス・オブ・ドリームズ」(夢の王子)です。
夢を覗き込むとされる目に、孤独な寂しさなどない。
むしろ上向きで好奇心に満ちています。真ん中に描かれた小さな子供の上半分の顔(←ほとんど見えませんねー!)は
ユングの言葉でいえば真のルドンの姿の象徴。顔の上半分である故に、
育ち続ける脳の可能性が広がっているようでさえあります。
元案であるポスターが与える印象もただただ陽気ではないですか。
あ、えーっとこのポスターは盗まれちゃったようです!!
作者不明
「偉大なる保留気球」
ポスター 
パリ、フランス書誌




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しかし彼は絵はうまくても、「学校」ではとことんシャイ=不器用で落ちこぼれ。

  11歳で実家があるボルドーに帰り、
寮生の学校に入ったものの勉強に着いていけず、

その後に父の勧めで受けた建築学校には、
技術試験に辿り付く前に口頭試験で落選。

24歳を過ぎた頃やっと受かった芸術学校では上からの指導に反発
加えて、クラスメートの中になじめず1年で中退。


ワン・ツー・フィニッシュ!という感じですね。



後に彼は、当時の様子をこう述べます。

「苦い経験を持たない彼らは、はじめから私とは違うのだ…。
私はただ影のみ、深い影のみを抱いていた…。
  全てのものが、疑いの余地なく影の中で姿を曖昧にしていた…」


彼は幻想的でロマンチックな絵を愛したため、
輪郭線をはっきり書くことを嫌っていたのです。
というか彼は過去のトラウマを大事に抱きしめているようです。



彼は、世間がフランス革命という大事件に直面しているにも拘わらず
、そしてフランス有名画家(ゴヤとかマネとか)が次々、
戦争を題材に巨大ペインティングを描いて名を上げているのも無視し、
ただ小さな紙に自分の夢や神話の一幕を描き続けているのです。  


二流の画家とは、心が決めるサイズではなく、公の目に止まるように 大きなサイズを選ぶものだ…。」


…現実的には、明らかにゴヤなどの方が有名で、
ルドンは所詮、
「文学家たちにはウケがいいが、美術家や批評家には注目されない」画家でした。

この辺りで、「孤独な画家」の仮面を外して、人間臭くなっていますね。
次場面で、
彼がまるで洗礼を受けたかのように遂に正直になるという変貌の程を見てみましょう。

 



=大ウソ! 画像処理に失敗。


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